真空ポットの限界
文字を書く前に、一杯の珈琲を淹れた。コルクのコースターに乗せられたマグカップからは湯気が立ち上り、程よい酸味とコクが私の執筆活動を後押ししてくれるようだった。
ーーというのは数刻前の話だ。今は外気にされされたそれは冷え切り、ただの苦くて酸っぱい液体へと変化してしまった。物質としては同じ筈なのに、こうも感じ方が変わるのは、やはり時間の経過による劣化が大きいのだろう。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
平家物語のこの一文は、学生時代に聞き覚えがある者が大半だろう。
どんなものであっても、必ず衰える。これは珈琲だけではない。全ての物事に共通して言えることだ。
その中でも今回は、恋愛感情について取り上げようと思う。
いくら好きでも、その気持ちが衰える日が来る。私は恋をする時、それを恐れている。
今は好きだと言ってくれたとしても、その好意はいつまで続くのだろうか。自身は継続して好かれるほどの人物では決してない。それは恋愛だけではない、全ての対人関係に言えるだろう。
恋人だと、より一層その思いは強くなる。飽きられたらどうしよう。捨てられてしまったらどう生きていけば良いのか分からない。世間ではそれを依存と呼ぶ。
自身、幼い頃から依存を繰り返し生きてきた。今更になって価値観は変えられないだろう。
しかし、世の中には恋愛の成功例も星の数ほど存在する。
一番身近な例を挙げるとするならば、それは私の祖父母だ。祖父は生涯祖母を愛し、祖母も亡き祖父の事を愛おしげに語る。彼らは一生の愛を貫いたのだ。
私が現在不安に思うのは、勿論この関係が不倫だからという事もある。
それ以上に、彼女には生涯を誓い合った夫と、血を分けた愛おしい息子と生活を共にしているからだ。
その環境は5年間変えることはないと約束した。それは守るつもりだ。
けれど旦那に愛され、仲の良い家庭生活を送る彼女を見ていると、彼女の気持ちの変化をどうしても恐れてしまうのだ。
彼女の旦那は毎晩彼女に愛してると告げ、彼女を抱き、そうして一つの家庭を養っている。
天地をひっくり返したとしても、彼の方が圧倒的に優れているのだ。
疑り深い性格は、何とも厄介なものである。
この温かい情熱だけをポットに閉じ込めて置けたらいいのに。そうは出来ないのが、この私という存在なのだ。