ネリネの花が咲く頃に

百合不倫相手と別れ、5年後の再会の約束までに自分の感情にケリをつけるまでのブログ。再会は果たされるのか。

愛の遣り取り

 

「愛している」と言ってほしい。

 どうも今日の私はいけない。どうにも不安定だ。

 彼女と次回会う時の条件。それは「その日のうちに解散すること」「お酒を飲まないこと」だ。

 けれど私はそれ以上を望んでしまった。彼女の隣で朝を迎えたいと、そんなわがままを言ってしまったのだ。我慢が効かなくなった。気が付いた時には彼女にメッセージを送っていたのだ。送ってから気が付いた。自分が駄々を捏ねてしまったのだと。そして後悔をした。なんて軽率な行動だろう、と。

 今朝だって、彼女は電話で「蛍、愛しているよ」と言葉をくれた。それなのに、もう足りない。

 さあ、そこで、だ。私はほぼ常にと言って良い程彼女について考えている。考えないようにしようとも、頭の中は彼女のことばかりだ。自分でも気持ちの悪い執着だと思う。

 その為、彼女を忘れられる何らかの趣味が欲しい。

 読書であったり、絵を描くことであったり。色々取り組もうとしてはいるものの、どうもどれもがしっくりこない。ゲームをプレイしようとしても、どこか上の空になってしまい、結局は集中することが出来ないのだ。続いていることといえば、このブログの更新くらいのものか。

 けれどこのブログも彼女に対する想いを綴っている。結局は彼女から離れることは出来ないのだ。

 彼女も、私のことを考えてくれているのだろうか。

 彼女は、よく焼き餅を妬く。つい先日も私が元カノと遊びに行ったと聞き、体調を崩してしまったと言っていた。焼き餅を妬く必要など、全くないのに。私は彼女しか見ていないのだから。

 他の誰と居たとて、恋愛的な意味で好きになることは無いだろう。安心してねと言っても、彼女は不安になってしまうのだろうけれど。

 一層の事他の誰かを好きになれたらと思うが、生憎今はそれが出来ない。

 彼女しか見てない。いいや、見れない。だから私は彼女に好きだと言ってほしい。

 愛していると、そう何度でも確かめたくなってしまうのだ。それは私が彼女を愛しているように、彼女にも私を愛していてほしいから。

 一方的な片思いであれば、まだ楽だったのだろうか。そしたら、時間はかかるかもしれないけれど、いずれ諦めもついて、また次へと踏み出せたのかもしれない。たらればの話など、考えても無意味だが。

 愛しているから愛されたい。その感情はあまりにも自己中心的だ。他人の感情は他人のものだ。私がどうこうできるものでもない。彼女に愛されたいというのも結局は私のエゴでしかないのだから。

 それでも。

 私は貴方を愛している。だから、貴方からも、同じ言葉を聞きたいんだ。